「大地の塔」東日本大震災慰霊碑、山元町・山下駅跡


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「大地の塔」 慰霊碑
(宮城県・山元町/2018年7月撮影)
















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大地の塔 / 竹の子とその地下茎をイメージしたデザインだそうです。





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刻銘碑 / 東日本大震災で犠牲となられた方たちの名前と年齢が刻まれていました。





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刻銘碑のパネル / 山元町内の震災前と後のようすを写した写真。





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刻銘碑のパネル / 山元町沿岸部の震災前の写真。





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刻銘碑のパネル / 山元町沿岸部の震災後の写真。









【 宮城県・山元町 / 2018年7月 】


山元町(やまもとちょう)の山下駅跡に、東日本大震災(2011年3月11日発生)の慰霊碑が建てられていました。 (津波被害に遭った旧山下駅は、500メートル内陸側に移設して復旧され、旧駅舎は撤去されています。)

あとからネットで調べたら、2017年3月11日にこの場所で、追悼式と慰霊碑の除幕式が行われたようです。

慰霊碑は「大地の塔」といって、竹の子をイメージしたデザインになっていて、高さは震災の日を表す3.11メートルになっているそうです。

刻銘碑には、犠牲となられた方たちの名前と年齢が刻まれていました。





大地の塔

 この慰霊碑「大地の塔」は、東日本大震災で犠牲となった多くの方々の慰霊と、復興、記憶、願いなど、それぞれの思いが竹の地下茎のように大きく伸長し、大地の生命力が宿る竹の成長をイメージしている。
 また、慰霊碑の高さは、震災の日を表す3.11メートルとした。

(中略)

 この地には、かつてJR常磐線が通り、山下駅があった。明治30年に常磐線が開通し、その翌年から始まった地元有志による請願運動が実り、昭和24年5月に誕生した駅で、地域の賑わいの中心であった。
 東日本大震災の巨大津波により、浜通り一帯は甚大な被害を受け、駅舎は新市街地のつばめの杜地区へ移転した。
(慰霊塔より)


山元町東日本大震災慰霊碑

 平成23年(西暦2011年)3月11日午後2時46分、宮城県三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の大地震が発生し、震度6強の激震を観測、1時間ほどで巨大津波が町に襲い掛かり、住民の平穏な暮らしを奪っていった。
 津波浸水高は最大で13メートルを超え、海岸から3.5キロメートルの内陸にまで達し、浸水面積は約24平方キロメートル、町域の4割近くにも及んだ。防潮堤、防潮林、2つの小学校、JR常磐線と山下駅・坂元駅などが壊滅的な被害を受け、沿岸部の磯、中浜、新浜、笠野、花釜、牛橋の6つの行政区を中心に、2200棟を超える家屋が全壊流出した。
 故郷の見慣れていた風景、大切な思い出や暮らしを支えてきた生産基盤など、先祖から受け継がれてきた有形・無形の財産が、瞬時に奪い去られてしまった。
 全国各地から駆け付けた自衛隊、緊急消防援助隊をはじめ、警察、消防関係者による懸命な救出・救助活動が行われたが、犠牲者は637名を数え、町は深い悲しみに包まれた。
 私たちは、大地震で犠牲者となられた多くの方々の御霊に哀悼の誠を捧げるとともに、震災の記憶を風化させることなく教訓として後世に残し、厳しい試練のなかで育まれた絆と人を思いやる心を大切に、町の復興と更なる発達を誓い、ここに慰霊碑を建立する。
(刻銘碑より)










(画像保存設定: 画像01~03:96、画像04~06:90)

[備考] 大地の塔 / 場所: 宮城県亘理郡山元町山寺頭無 / 駐車場: あり(無料)

参考地図: 大地の塔
(地図貼付2018年7月。 以降のグーグルマップの変更には対応していません。)




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