「東松島市震災復興伝承館」旧野蒜駅舎


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東松島市震災復興伝承館。旧野蒜駅舎。東日本大震災。宮城県。画像。仙台人が仙台観光をしてるブログ。与平。

旧野蒜駅舎
(宮城県東松島市/2017年1月撮影)















【 2017年1月、宮城県東松島市(ひがしまつしまし) 】


このまえ、東松島市の野蒜(のびる)にある旧野蒜駅舎に行ったら、建物のなかに 「東松島市 震災復興伝承館」 というのができていました。

旧野蒜駅舎は、東日本大震災(2011年3月11日発生)のときに地震と津波で被災して使われなくなった駅舎です。

建物は2階建てで、震災後、建物が復旧してからは、1階にコンビニのファミリーマートと観光案内所が入り、現在も営業しています。

「東松島市 震災復興伝承館」 ができたのは2階で、無料で入館できる場所として開放されていました。

オープンしたのは昨年(2016年)の10月のようで、オープン当日は、セレモニーイベントも行ったみたいです。

僕はちょくちょく野蒜の方には行っていて、昨年11月の 「復幸(ふっこう)まつり」 や、今年の元日に野蒜海岸に初日の出を見に行ったりもしましたが、「東松島市 震災復興伝承館」 ができたことは全然知りませんでした。

東松島市では、未だ続く復興工事のなか、震災を伝えるためのこういった取り組みも、ちゃんと行われているんですね。

(ちなみに、「復興まつり」 のことはまだブログに書いていません。 近々書きます・・・。)





「東松島市 震災復興伝承館」 の館内では、大型スクリーンでの10分くらいの映像のリピート上映、震災直後のようすを写した写真の展示、国内外から寄せられたメッセージ入りのフラッグやけんすい幕の展示をしていました。

東松島市の被災状況のすさまじさ、津波の教訓、復興の歩みについて知ることができました。

6年が経ちますが、やはり津波直後の風景の写真というのは、目にすると心痛し、気が沈みました。

震災前の野蒜の風景を知っている僕が、震災後数ヵ月してから、初めて被災した野蒜の風景を見たときに、気持ちが引き戻されました。

風化させない為に、そして東日本大震災のことを伝承してゆく為に、こういう場所は絶対に必要だと、改めて思いました。





旧野蒜駅舎はJR仙石線(せんせきせん)の駅でした。

震災後の復旧では、鉄道はコースを内陸の方に移して敷きなおされ、それに伴って、新しい野蒜駅が、旧野蒜駅よりも約500メートル内陸で高台の上に建てられました。

既に営業を再開していて、電車も走っています。









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東松島市震災復興伝承館。旧野蒜駅舎。東日本大震災。宮城県。画像。仙台人が仙台観光をしてるブログ。与平。
<館内のようす>

「東松島市 震災復興伝承館」 の館内。 画像中央に写っている大型スクリーンでは、東松島市の被災状況、復興状況などにつていの映像を、リピート再生していました。 壁には、被災時の風景を写した写真がたくさん展示されていました。





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東松島市震災復興伝承館。旧野蒜駅舎。東日本大震災。宮城県。画像。仙台人が仙台観光をしてるブログ。与平。
<館内のようす>

画像02と反対側の位置、大型スクリーン側から撮った館内のようすです。 写真展示のようすを撮った画像です。

ちょっと余談なんですが、外国からだと思われる方たちと居合わせたんですが、展示も映像も日本語だけだから、よく分からないといったようすでした・・・(汗)。





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東松島市震災復興伝承館。旧野蒜駅舎。東日本大震災。宮城県。画像。仙台人が仙台観光をしてるブログ。与平。
<旧野蒜小学校の屋内運動場の時計>

“その時計の針は人々の生活を一変させた瞬間を指し続ける” と展示に書いてあったから、東日本大震災の本震のときに止まった時計のようです。

本震発生は、2011年3月11日午後2時46分で、そこから揺れは長く続きました。 この時計の長針は48分で止まっています。 もとからずれていなかったのなら、この時計は、揺れ始めた瞬間じゃなくて、揺れが続いている途中で止まってしまったんでしょうね。

僕は仙台市で本震に遭いましたが、ものすごい揺れが5分近くもつづいたのを憶えています。 ・・・ほんと長かった。





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東松島市震災復興伝承館。旧野蒜駅舎。東日本大震災。宮城県。画像。仙台人が仙台観光をしてるブログ。与平。
<券売機>

震災時までこの駅で使われていた券売機のようです。 細かいところを見ると、あっちこっちに砂がつまっていました。 津波にまるごとのまれた券売機なんでしょうね。





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東松島市震災復興伝承館。旧野蒜駅舎。東日本大震災。宮城県。画像。仙台人が仙台観光をしてるブログ。与平。
<展示写真>

館内の展示物を撮った画像です。 震災当時に撮影された、津波のあとの旧野蒜駅舎のようです。 津波で押し流されてきたガレキが建物のところに溜まっているようです。 画像01に写っている現在のようすと比べると、津波のすさまじさが分かります。 





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東松島市震災復興伝承館。旧野蒜駅舎。東日本大震災。宮城県。画像。仙台人が仙台観光をしてるブログ。与平。
<展示写真>

館内の展示物を撮った画像です。 震災当時に撮影された、この駅のプラットホームです。





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東松島市震災復興伝承館。旧野蒜駅舎。東日本大震災。宮城県。画像。仙台人が仙台観光をしてるブログ。与平。
<旧野蒜駅プラットホーム>

旧野蒜駅舎2階の 「東松島市 震災復興伝承館」 の窓から見た、建物のすぐ裏にある旧野蒜駅のプラットホームです。 ひとつ前の画像(画像07)の現在です。 このプラットホームは震災遺構として残すと聞いています。

画像の一番奥の高台になったところには、新しい野蒜駅が小さく写っています。 プラットホームの位置からは、500メートル近く離れています。 次の画像は、同じ場所から新しい野蒜駅をコンデジでいわゆるズームして撮った画像です。





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東松島市震災復興伝承館。旧野蒜駅舎。東日本大震災。宮城県。画像。仙台人が仙台観光をしてるブログ。与平。
<旧野蒜駅舎からみた新しい野蒜駅舎>

画像08 の一番奥に写っている新しい仙石線の野蒜駅を、同じ場所からズームして撮った画像です。 奥の高台の上に写っているのが新しい野蒜駅。 右側に半分だけ見えている茶色い建物が駅舎で、その左側がホームです。

仙石線(せんせきせん)は、震災前のコースより、もっと内陸側を通るコースに移して線路が敷きなおされました。 それに伴って野蒜駅も、もとの場所(現在の旧野蒜駅舎)より500メートルくらい内陸側に移り、そして高台の上に、新しい駅が造られました。 すでに再開して、電車も走っています。





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東松島市震災復興伝承館。旧野蒜駅舎。東日本大震災。宮城県。画像。仙台人が仙台観光をしてるブログ。与平。
<旧野蒜駅舎内>

旧野蒜駅舎内の1階を、2階へのぼる階段の途中から撮った画像です。 白い内壁の高いところに、赤い色の直線が引かれているのが分かると思いますが、その線は、駅舎内が津波で水に浸かった高さだそうです。





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東松島市震災復興伝承館。旧野蒜駅舎。東日本大震災。宮城県。画像。仙台人が仙台観光をしてるブログ。与平。
<旧野蒜駅プラットホーム>

今回撮った2017年1月現在の旧野蒜駅プラットホームです。 このプラットホームは震災遺構として残すと聞いています。

僕はこのプラットホームを何度か見てきましたが、震災から6年が経ち、津波に襲われた場所だという恐ろしさを感じさせる雰囲気は、だいぶ薄まっているように思います。

震災からまだ2、3年しか経っていない頃までは、津波のときに付いた泥の跡で汚れていたり、そのとき海から流されてきた細かい砂がまわりを覆っていました。 たぶんそういったのが、雨風で、だいぶ洗い流されているからだと思います。







(JTrim 画像保存品質設定 94)

[備考] 場所: 宮城県東松島市野蒜北余景56−36 / 入館料: 無料 / 駐車場: あり(無料) /

参考地図:


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