儀兵衛・多十郎記念碑の丘 [儀兵衛・多十郎巡り3]


01
01 96 儀兵衛・多十郎記念碑の丘、宮戸島、宮城県東松島市.jpg
「儀兵衛・多十郎オロシャ漂流記念碑」
儀兵衛・多十郎記念碑の丘
(宮城県東松島市/2018年6月撮影)
Gihe and Tajuro's monument
















02
02 96 儀兵衛・多十郎記念碑の丘、宮戸島、宮城県東松島市.jpg
[県道27号と「儀兵衛・多十郎記念碑の丘」の道標と案内板]
写っている道路は県道27号。 道路を奥へ行くとすぐ、室浜の集落跡地と室浜海岸があります。 画像右に写っているのが「儀兵衛・多十郎記念碑の丘」の道標、案内板、そこへ行く階段。





03
03 96 儀兵衛・多十郎記念碑の丘、宮戸島、宮城県東松島市.jpg
[道標と案内板]
ひとつ前の画像(02)にも写っている「儀兵衛・多十郎記念碑の丘」の道標と案内板。 道標も案内板のパネルも、ここ何年かの間に新しくなったように思います。





04
04 96 儀兵衛・多十郎記念碑の丘、宮戸島、宮城県東松島市.jpg
ひとつ前の画像(03)に写っている案内板の「儀兵衛・多十郎記念碑の丘」の部分。





05
05 96 儀兵衛・多十郎記念碑の丘、宮戸島、宮城県東松島市.jpg
[儀兵衛・多十郎記念碑の丘]
記念碑のある高台までのぼる道。





06
06 96 儀兵衛・多十郎記念碑の丘、宮戸島、宮城県東松島市.jpg
[儀兵衛・多十郎オロシャ漂流記念碑]
ほぼ中央に写っている黒い石碑が「儀兵衛・多十郎オロシャ漂流記念碑」。 石碑の反対側は画像01。





07
07 96 儀兵衛・多十郎記念碑の丘、宮戸島、宮城県東松島市.jpg
[室浜漁港と嵯峨渓]
「儀兵衛・多十郎記念碑の丘」からの海の眺め。









【 宮城県東松島市 / 2018年6月 】


宮戸島(みやとじま)。

室浜漁港(むろはまぎょこう)の近くにある「儀兵衛(ぎへい)・多十郎(たじゅうろう)記念碑の丘」。

県道27号(奥松島パークライン)ぞいに道標があり、そこから3分ほどのぼった高台に、『儀兵衛・多十郎オロシャ漂流記念』がありました。

実は、僕は10年くらい前、ここを訪れたことがあります。

けど、そのときは、記念碑にはまったく興味を持ちませんでした。

わが宮城県に日本人初の世界一周をした人たちがいるなんて聞いたことがなかったし、記念碑に刻んである説明の文章は、長いし、文字が小さいし、表面が鏡面加工で反射して読み見づらいし・・・。

ここではただ、高台からの海の眺めを楽しんだだけでした。




半年くらい前、今このブログに書いている「儀兵衛・多十郎巡り」をするきっかけになった『初めて世界一周をした日本人―若宮丸漂流記』という本を読んだとき、登場人物の儀兵衛と多十郎という名前を見て、
「どっかで見た名前だ!」
と思ったんです。

10年も前に一度行っただけの場所だから、なかなか頭に浮かんでこなかったけど、しばらく考えて、ようやくこの場所のことを思い出しました。

本を読んで興味を持ったことで、どういった人物にまつわる場所だったのかを、初めて知りました。

(10年前に行ったとき、いちおう読んでおけばよかったな・・・(汗))








「儀兵衛・多十郎オロシャ漂流記念碑」の文章をここに写しておきます。

ぜひ読んでみてください!

儀兵衛・多十郎オロシャ漂流記念碑

 寛政5年(1793)11月27日、石巻裏町米沢屋の若宮丸は江戸向けの※藩米千三百俵余と御用木材四百本を積んで石巻港を出た。乗組員は、船頭平兵衛以下16人で、中に当地室浜出身の水主(かこ)儀兵衛、同多十郎がいた。(※藩米数量には、他に二千三百俵余の所説あり)
 若宮丸は、出向の翌々日から大シケに遭い塩屋崎沖で方向180度変更、乗組員一同の必死の努力も空しく、北へ北へと押し流され半年後、辛うじてロシア領アリューシャン列島のオンデレッケ島に漂着した。すでに船は大破し、積み荷の大半も海中に投棄されていた。
 儀兵衛らは、ここで島民の手厚い保護を受うけ、次いでロシアの役人に引き取られてシベリアに渡り、オホーツク、イルクーツクから首都ペテルスブルクに至った。その間8年、厳しい異国の風土と故国への郷愁を堪え忍び、行く先々での温かい人情に励まされながら辛抱強く生き抜いた。しかし、船頭平兵衛を始め、徒労困憊(とろうこんぱい)してついに異国の土になった者もあり、首都に着いたのは10人だけであった。
 たまたま、ときのロシア皇帝は熱心に対日貿易を希望し、その手段として漂流民の送還を企てた。儀兵衛、多十郎、寒風沢の津太夫、同佐平らは直ちに帰国を申し出たが、他の6人残留を希望した。皇帝の意に叶った4人は金子、衣服、時計等を賜り歓待された。
 1803年6月18日、いよいよ帰国の途につき、軍艦ナジェージダ号に乗せられ、首都の外港カナシタ港から出港した。いわゆる西回りの大航海で、大西洋太平洋の二大海洋を横断し、1年3か月後の文化元年(1804)9月6日に長崎へ入港した。石巻を出てから実に11年ぶりの帰国である。
 儀兵衛、多十郎らは、苦難の漂流の末、奇しくも日本最初の世界周航者となった。これは日本漂流史上類がなく、その生への執着と数奇な体験と共に永く記念すべきことである。

昭和61年3月
鳴瀬町教育委員会









[このブログ内の関連記事]
●多十郎の墓跡地 [儀兵衛・多十郎巡り2]
●日本人初世界一周者!儀兵衛の供養碑・多十郎の墓石、観音寺 [儀兵衛・多十郎巡り1]
●儀兵衛・多十郎オロシヤ漂流記念碑へ 記2008年12月

[備考] 

参考地図: 「儀兵衛・多十郎記念碑の丘」への登り口
この地点が平面地図にのっていないので、ストリートビューを貼り付けました。
グーグルストリートビュー (2018年6月貼付。以降のグーグル側の変更には対応していません。)




この記事へのコメント