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宮城県の観光名所、「松島」。 宮城県指折りの港、「石巻港(いしのまきこう)」。
それら2つの中間の地に、まぼろしの港があったと言う。
明治時代。
鳴瀬川(なるせがわ)が海へと流れ出る、ここ「野蒜(のびる)」の地域を中心にした港造りの計画があったそうです。
それが「野蒜築港(のびるちっこう)」。
「野蒜」はもとより、この地域一帯を広く計画に取り込み、内側と外側に港を造り、小型船から大型船までの対応力を持ち、人口運河で石巻港と通じ、湿地を埋め立て街を造るという、今の「野蒜」からは想像もできない巨大な計画であったそうです。
内港を鳴瀬川内に造るという第一期工事が終了。
しかし、直後にこの地を襲った台風によって、防波堤として重要な役割を果たす「突堤(とってい)」が崩壊し、すぐさま内港が使用不能になり計画が中止、次の工程に移る事なく果てていったと言います。
オランダ式工法を取り入れた、日本初の近代的な洋式築港だと言う「野蒜築港」は、栄える港の姿を見せる事なく、突堤や果てたレンガ造りの橋跡を置いたまま、何処かへ消えてゆきました。
そして今もなお、人工的に造られた河川が、不自然で異様な地形を、この地に残しています。
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これは(画像[1]と[2])、人口で作られた「新鳴瀬川」。 もとからある「鳴瀬川」と通じる目前で寸断されています。 流れはなく、塩の干満で深さを変える川、「野蒜築港」の爪あとです。
ここにはパネルがあり、この辺りの築港の足跡見物を手引きしています。 この「新鳴瀬川」が「北上運河」に合流する所にも、橋跡がありました。
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当時、この辺りが栄えていた形跡は、今は全くなく、そのような気配も全く感じられません。 それどころか、人気の少ない寂しい場所でした。
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「鳴瀬川」河口の方へ進むと、『野蒜築港の一環として区画され、銀行、商店、米取引所などが軒を連ね、往き交う人馬で空前の賑わいを呈した』という、「野蒜築港」において「市街地」と呼ばれる場所がありました。
かつては賑わった街があった場所のようです。 ここも今は、そのような気配は全くありません。 名残りを伝えるために、工事で使われたと言うローラーが、ただ2つあるだけでした。
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更に進むとあった、「野蒜測候所跡」との事です。 気象観測をした場所であったようです。 「野蒜築港」に際して造られ、計画中止と共に、ここを去ったのでしょう。
何処を見てまわっても、今や全て、“跡”があるだけでした。
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海まで行き着くと、「野蒜築港跡」と刻まれた碑がありました。 石巻港から海沿いをのびてくる人工の「北上運河」と、「鳴瀬川」が合流する場所。
ここには、簡素な公園がありました。
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脇には、小型船の停泊する場所がありました。 計画通り完工していたのら、この河口付近から望む海には、大型船の行き交う姿が見られたのでしょうか。
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「鳴瀬川」をはさんだ対岸には、「野蒜築港資料室」と言う資料館があるのですが、この日は苦くも閉館日でありました。 いつかそこも見物してみたい。 その時はまた、このブログで書こうと思います。
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何処への通り道でもないこの水辺のあたりは、数人の釣り人がいるような、そんな静かな場所でした。
宮城県の港と言えば「塩釜(しおがま)港」。 そして「石巻港」。 これらと肩を並べる、もしくはこれらをしのぐ大港。 そんな話は幻でした。
ふと目に留めた者だけに、今、置き去りにされた物たちは、ひっそりとその事を語っています。
備考)
鳴瀬川の河口。 宮城県東松島市浜市樋場付近。及び同県松島町野蒜字下沼付近。 見物無料。 専用P無。 ※僕の勝手な所見です。
>>次回 「鹿の角切り、金華山へ」
鹿を捕まえ角を切り落とすという孤島・金華山の伝統行事です。
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http://www.pref.miyagi.jp/kankou/resipi/kankou-resipi.html
リンク先、読んでみたのですが僕には難しく、読めない字、意味を知らない言葉が多く、内容についてゆけませんでした。僕では無理なようです。すみません。