伊達宗高公御廟 (村田町巡り 9(完))


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伊達宗高公御廟・龍島院・村田町・宮城県・画像・仙台人が仙台観光をしてるブログ・与平

伊達宗高公御廟 (宮城県・村田町)













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伊達宗高公御廟






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龍島院にて









前回の記事からのつづきで、今回も2013年11月に車で村田町を巡ってきたときのことです。

村田町巡りで最後に行ったのは町の北西に位置する 「龍島院」 で、ここは村田町の観光としては、庭園の拝観と、「伊達宗高公御廟(だてむねたか こう ごびょう)」 の参拝をする場所でした。 僕は庭園の拝観の方はせず、「伊達宗高公御廟」 の参拝だけをしてきました。

寺院境内に歩いて入ると境内の手入れをしている方がいらしたので、挨拶を交わすがてらに御廟の場所を尋ねてみると、「あの大きな杉の木のある場所です」 と教えてくれたので、その方が指さしていた木の方へ行ってみました。

その木は墓地園のやや高台になっている場所にあり、墓地の間に通る細道をのぼてゆくと、目指していた木の根元へ着きました。 どの木よりも幹の太い、とても立派な杉の木でした。

そこには、「伊達宗高公御廟」 と、近くに並ぶ殉死した家臣の墓がありました。

村田町巡り (完)


伊達宗高公御廟及び殉死者の墓

 伊達宗高公は、仙台藩主伊達政宗公の七男として仙台で生まれ、慶長十八年(1613)に七歳で村田城主となり、柴田・刈田両郡で三万石を領しました。
 元和九年(1623)に蔵王の刈田岳が噴火し、翌年になっても止まず、郷土に大きな被害が出ました。そこで政宗公の命を受けた宗高公は、中国人の王翼とともに刈田岳の山頂に登り、天に命願し噴火を鎮めました。この崇高な行いは領民の心を打ち、敬慕されうようになりました。
 寛永三年(1626)、従五位下・右衛門大尉の官位を授けられるため、政宗公とともn京都へ上った宗高公は、当時流行ってた天然痘にかかり、二十歳の若さで亡くなりました。その後、主君を追って十名の家臣が殉死しました。
(現地立て看板より)



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参考地図: 伊達宗高公御廟(緑矢印)

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