大崎市 鳴子温泉
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鳴子にあった「尿前の関(しとまえのせき)」という場所です。
今回も2007年の秋、「鳴子峡(なるこきょう)」の周辺を散策した折に訪れて来た場所です。
鳴子峡の辺りを車で走っていると「尿前の関」と書かれた案内表示を見つけ、一体どういった場所だろうかと興味があったのでそこへ行ってみました。
現地には何点かの説明書きが設置されていたので、その一つをここに丸写ししておきます。
『 尿前の関跡
伊達藩の尿前境目番所であった、間口40間、奥行44間、面積1760坪、周囲には、切石垣の上に土塀をめぐらし、屋敷内に長屋門・役宅(187坪)厩・土蔵等10棟が建っていた。この関を中心に尿前宿もあった。
元禄2年(1687)芭蕉と曽良か行脚の途「関守にあやしめられて漸として関をこす」と「奥の細道」に書いているように、取締りの厳しい番所であった。 』
古くはここに伊達藩の番所があった。 松尾芭蕉がここを通った。 おそらくそういう場所なのだと思います。
国道47号沿いに車を止める場所があったのですが、そこからは急な斜面を階段でだいぶ下りた所に今回の画像のような場所がありました。
僕が訪れた時は紅葉狩りの季節とあって、宮城県の紅葉名所「鳴子峡」を訪れてここへも足を運んでいるのであろう人たちの姿もちらほら見られました。
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ここが「尿前の関」があった場所のようです。 こういった小さな公園のようになっていました。 ここの入口が画像Top に写っている門です。
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こういった場所であったようです。 ここには長い文章でここについての詳しい説明書きがありました。 ひどい物言いをしますが、詳しくは現地で…。
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「尿前の関」跡にあった松尾芭蕉の像。
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奥の細道。
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「尿前の関」跡のほぼ向かいには、このような石碑とお宮がありました。
『 自然石の句碑で石積み台の上に建てられ、表面中心に芭蕉翁、右に俵坊鯨大、左に主立周谷、裏面に□□馬の尿する枕元、明和5戊子6月12日尿前連中と刻まれている。
1712年建てられてもので芭蕉が尿前の関を通過してから約80年後に建てられている。俳句を愛するこの土地の人々が芭蕉の通過を記念してここに句碑を建立したものである。 』
(現地説明書きより。□□馬の部分はパソコンで字が出てきませんでした。読み方も知らない字でしたのでこうしました。)
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石碑の奥にあったお宮。
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石碑の奥にあったお宮。
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この辺りで撮って来た風景。
備考 )
参考地図: 尿前の関{ちず丸}





